2021年第3回 教師会 (オンライン会議)

 去る、8月16日㈪午後1時30分から4時30分まで、リモートによる第3回教師会が開催された。10教会(神奈川、鶴見、平塚、登戸、横浜西、子安、丸子、相模原、甲府、 大明)から11名が出席。


 今回は、連合会長挨拶に続き、各部、各プロジェクトの活動及び首都圏フォーラムからの 報告が行われた。

  続いて教師会の協議事項で、定期教話の開催時期について協議の結果、このコロナ禍での 現状を踏まえ、今年度の実施を見送り、来年の早い時期から開催することが決定した。


 また、来年に迎える神奈川山梨布教130年の記念事業の一つとして、神奈川山梨布教130年祈願詞について協議し決定した。

 更に、ご霊地での記念集会を10月1日2日に予定 している旨担当者から説明があり、出席者全員了解した。1日午後にお礼のご祈念と講話 (講師は未定)拝聴、2日には、生神金光大神大祭参拝後、金光町史跡巡りなど検討されることとなった。

  また、記念冊子の内容についても担当者から提案があり、①教会紹介、②130年記念事業報告、③座談会(これからの連合会をテーマに)、④連合会の年表を掲載することで作業を進めていくことになった。


 続いて研修では、今年度のテーマ「取次と教導の充実のために」と題して、南清孝師(登戸教会長)が次の如く語った。初めに、「自らの信心を支えているもの」として、初代教会長の入信と布教の経緯を語った。


 <登戸教会の初代教会長は、40歳の時坐骨神経痛を患いあらゆる治療を行うも良くならず、生きる気力を失いかけていた折、赤坂教会に参拝する信徒から、「そんなに苦しんでいるなら、一度教会に参拝してはどうですか」と勧められ、夫婦で参拝する。

 その時初代教会長竹内伊兵衛師から「人間は天地の親神様の大きなお働きの中で、生かされて生きているのであります。自分の力で生きているのではありません」「おかげを頂きたいなら、ままよという思いにならなければおかげは頂けません。一心になって神様にお縋りしなさい」とご理解を頂き、神様のおかげで生かされてきたことに気づかされ、お詫びをするとともに、「こう痛くてはたまりません。神様の良いようにしてください」とお願いしたところ、痛みが少し和らいだということである。

 その後、度々赤坂教会に参拝して、初参拝から4か月後完治のおかげを頂いた。その折竹内師から、「おかげを頂いて有り難いと思ったら、難儀をして苦しんでいる人がたくさんおりますから、一人でもお手引きして助けてあげるのが、神様へのお礼であります」とご理解を頂き、以後信心を伝えることに取り組み、登戸の地で布教にあたることとなった。

 「おかげを頂くのは、取次ぐ人の神徳のみで助けるものではなく、取次を頂いた人の改まりがおかげのもとであると思う〉と語った。

 また、〈ある信徒が留守中の教会に初参拝し、お広前で手を合わせた折、天地書附から神々しい光と暖かい空気に包まれ、「神様が私を待っていてくださった」と、神様に出会えた感動で涙が止まらなかったと伝えた。

 過去を振り返り、今まで神様からたくさんのおかげを頂きながら、神様を無視していた自分を詫びるとともに翌日から日参が始まる。参る度に「神様がお供をしてくださっている。私ほど幸せな人はいない」と申して、神様との出会いによって神様中心の生き方となり、問題がある人や苦しんでいる人がいると声をかけ、お手引きをするようにもなった〉と、そのお手引きの実例を紹介した。

 更には自らの体験談として、〈子供が5歳の時に交通事故に遭い、妻が本郷教会に参拝した折「子供が交通事故に遭ったことをお礼申しなさい。あなたの心が神様に向かうきっかけになったのであるから、有り難い日と思って、毎月その日を祀らせて頂きなさい」とご理解を頂いたと、伝えてくれた。

 このご理解は妻が頂いたご理解であるが、私に頂いたご理解でもあると思わせて頂いた。それは子供が検査を受けている最中、心配心が先に出て神様に心を向けられない、ままよになれない、押さえられない心の動揺を知り、事故を通して神様に任せきる心の大切さを教えられた〉と語った。

 南師はこれらの実例をもって、〈取次でのご理解や神様との出会いによって、神様のおかげの中に生かされて生きていることに気づかされ、お詫びと改まりの心が生まれ、生き方が変わっていくことが大切である〉と、取次による助かりを語った。

 次に印象に残る先輩教師の言葉、信徒の言葉と題し、それぞれ事例に基づき、言葉をどのように受け止めたのか、など語った。


 続いて本題である「取次と教導とは」については、〈取次は教師でも信徒でも誰でもできるし、どこでもできる。しかし結界取次は教師のみであるということは、取次でのご理解は教導であるということだ。

 またご理解を語る時には、どのような信心をしてほしいのか、明確にしておく必要がある。私は、神様の有り難いことを知る、感謝の心を持つ、そして信心を伝える、という信心をしてもらうことを目指して取次にあたらせて頂いている。

 お結界における取次は、神様が生まれる場、神様を育てていく場である。その人の心の中に神様が生まれれば、その神様に自分で取り次いで助かることができるようになるのだ。信心とは事柄の中に神様を見出し、有り難さや喜びを実感して、神様、霊様とともに歩んでいくことである〉と語った。

 その発題をもって質疑応答、時間を延長して懇談した。(記・安達幸則)

2021年08月21日